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信用の器 フラスコ

人は「きれいごと」しか続けられない

夢とお金の専門家、シナジーブレインの安田 修です。

先日聴講した福島正伸先生の講演で、「私は、きれいごとしかしないって決めているんです」という言葉があり、また「うまくいっても、いかなくても、一生、やめない」というお話もあり、その場では正直「意味がわからない」と思いましたが、じわじわ理解できてきたので、書いてみます。

商いの秘訣は、飽きない

冒頭からいきなりダジャレで恐縮ですが、これは商売人の中で古くから言われていることでもあり、恐らく真理を多分に含んでいます。自分でやっていても実感しますが、例えば何か商品を売り出して、それが売れ出すまでにはほぼ例外無く、タイムラグがあります。すぐに売れてしまうといことは極めて稀です。

これは、「峠の茶屋」なのだと思います。村人が歩いて峠を超える時に、山頂に茶屋があると。丁度、喉が乾く頃なのでありがたいのですが、そこに茶屋があるのを知らなかった村人は、水筒に水をたっぷり入れて旅立ちました。なので、最初ここを通り掛かった時に茶屋に寄るか寄らないかは、わかりません。

で、次にそこを通る時にはその茶屋を使おうと思う。でもそこを通るのは1週間後か、1ヶ月後です。ただ、通って茶屋が開いてさえいれば、この人はそこを使います。ファンになるわけです。茶屋にとってはこういうファンが一定数を超えて増えるまで、誰も利用者がいなくても茶屋を毎日、開店していないといけません

この、店が軌道に乗るまでじっと耐え、もちろん試行錯誤を繰り返しながら、とにかく毎日店を開け続けるという行為、これができずに「儲からないから」と店を畳んでしまう。こういうことが、色んな所で起こっていると思います。あと1日、続けていたら成功していたかもしれないのに、です。

失敗とは、途中でやめてしまうこと

例えば起業においては、理屈の上では、途中でやめさえしなければ失敗することはありません。事業にはスポーツの試合のような明確なタイムリミットは無いので、例え1000回失敗してもその人が挑み続ける限り、それは失敗ではなくて、「成功へのプロセスを辿っている」ということになります。

エジソンは電球を発明した時、記者に「1万回も失敗したのですか?」と聞かれ「失敗ではない。うまくいかない方法を1万通り発見したのだ。と答えました。「天才は1%のひらめきと99%の努力だ」とも言っています。誰にでもできることではありませんが、まさにこれを地で行っていますよね。

「失敗」とは究極の所、「諦めて、やめてしまうこと」と等しいのです。いやわかりますよ、お金が無くなったらやめないといけないとか、家族を食べさせていけないとか、諸般の事情があるので・・・とか。それでも、繰り返しますが理屈の上では、やめない限りは失敗ではないのです。

お金を目標にしてはいけないのか

ではなぜ、わざわざ「きれいごと」をする必要があるのでしょうか。起業をする上で、例えばお金を目標にしてはいけないのでしょうか。いけないということはありませんが、お金が目標では、恐らくは長くは続けられないでしょう。目標によほどの理由付けが無い限り、世間の荒波に耐えられないからです。

自分でも「この目標は、正しくないのではないかな」という疑問があると、何かうまくいかなかったり、誰かから責められたりしたときに、気持ちが折れてしまいやすくなるでしょう。正しいことをやっているという確信があれば、何があっても気にせずに、前に進み続けられるのです。

「お金の専門家」というと、さぞかしお金が好きなのでしょうと良く言われるのですが、まあ嫌いでは無い(得意なだけ)ものの、私はお金を目標にはしていません。お金が汚いとは微塵も思っていませんが、かと言ってお金自体を目標にすることに、自分自身が納得できるだけの強力な理由を感じないからです。

人は、「きれいごと」しか続けられない

結局、人生を通して何かを続けていこうと思うと、その背景には「きれいごと」が必要になるのです。錦の御旗、と言っても良いでしょう。誰に何を言われても、自分は正しいことをやっているという確信。これがないと、一つのことを長く続けることはできません。飽きてしまいますし。

人はきれいごとでないと続けられず、続けられないと失敗するとすると、三段論法的に「人はきれいごとをやらないと成功しない」ということになります。福島先生が仰っていたのは、こういうことだったのかなあと。いやもしかしたら全然違うかもしれませんが(笑)、私はそういう風に解釈しました。

なので、自他共に認める「美しいビジョン」は、やはり必要なんですよ。こうなったら良い、世界はもっと良くなるなというきれいごと。そのために一命を賭しても惜しくないほどの理想。そういうものを真っ向から掲げて生きていくということは、案外合理的なのかな、と思う今日この頃です。それでは、また。

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