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信用の器 フラスコ

「田舎で育って良かった」と思うこと

人生計画であなたの夢を目標に変えて実現する、シナジーブレインの安田修です。

雪が降ると、生まれ育った北海道のことを思い出します。私の出身は札幌や旭川・函館といった「都会」ではなく、道北の士別市という、もっと田舎の方でした。もちろんそれで損をしていることもあるとは思うのですが、田舎で育って良かったな、と思うことも多いんですよね。

どれくらい田舎か

北海道というとすぐ「果てしない大空と広い大地なんでしょ」とか「見渡す限りの大平原を走り回ってたんでしょ」と思う人も多いようなのですが、そんなことはありません。見渡す限りの大平原なんて、ちょっと移動しないとありませんよ。隣の家まで数百メートルとか、農業をやっていればそうですが、うちは違いました。

父親は地方公務員をやっており、住んでいた場所は市内だったので、そんな凄まじいド田舎という環境ではありません。あ、冬にはときどき、マイナス30度くらいにはなりますけどね。ちょっと車に乗るとスーパーやコンビニはあるけれども、デパートはない。そのくらいのレベルの程よい田舎(?)だと思って下さい。

そこに小中高と、高校までいました。私立中学なんていう発想もありませんでしたし、勉強のできる子は頑張って旭川の高校に行くのですが、私は家から自転車で通える地元の高校を選びました。だからスラムダンクの流川楓には共感しているんですよ。「近いから」っていうのは、高校選びの重要な理由だと思います(笑)。

損をしていることは何か

それで損をしたことと言えば何かなあと考えたことがあるのですが、実はあまりないんですよね。もっと都会に生まれ育っていれば、ファッション・カルチャーといったところにも若いうちから触れることができて、もう少しオシャレな大人になれていたかな、というくらいです。まあこれ、家がお金持ちな前提ですね。

あとは、いまだにわからない東京の交通網や地理感覚が、きちんと理解できていたかもしれないなと。電車に乗るときに「◯◯方面」とか言われても全くピンと来ないので。でもこれも、iPhoneでちょこっと調べるだけで最短ルートがわかり、乗り間違えることもかなり減ったので、さほどのダメージでもありません

田舎に田舎があるありがたさ

むしろ今となっては、田舎で生まれ育ったことは、良かったと思えるところが多いんですよ。「ふるさとは遠くにありて想うもの」なんて言いますが、これも一つですね。東京出身の人は、そのことに大いに誇りを持っているんだろうなと感じる一方、「田舎がない」ことに対するちょっとした寂しさもあるようです。

その点、私は北海道なので、正真正銘、ホンモノの田舎です(笑)。帰省はいつも小旅行です。あ、帰省のコストが高いというのはデメリットとして挙げておくべきかもしれませんね。まあそれでも、子供を連れて北海道のおじいちゃんおばあちゃんに会いにいくというシチュエーションは、良いものです。

「上昇を続けることができる」利点

田舎で育つことの最大の利点として、競争が緩やかだということがあるでしょう。小学校で神童と呼ばれた子が、レベルの高い中学校に入って周りの凄さに愕然とし、やる気がなくなるという良くある現象、これと私は無縁でした。中学生になっても、高校生になっても、自尊心を失うことが無かったんですね。

一方で、学校の先生の言うとおりにしていたらダメだということも確信していました。だって、その高校からは過去、ほとんど北大に合格していませんから。高校一年くらいのときには北海道大学に入ろうと決めていたのですが、赤本を買ってきて研究し、学校の勉強と北大の入試とは何の関係もないと気付きました。だから、学校での評価を捨ててでも、入試を突破する方法を自分で考えるしかない

そうやって北大に合格し、日本生命に入社し、起業をして・・・と、常に自分の頭で考えてより良い道を探り続けてきました。これは、本当に良かったと思います。「ひねくれている」とか良く言われましたけど、他人が作った仕組みを信じていたらダメだという、社会の本質に高校生の時に気付けたのは凄く大きな収穫でした。

子供は田舎で育てるべきか

なので私自身は「田舎者」であることに何のコンプレックスも無いのですが、では自分の子供についてはどうかということになると、まあそこまで田舎で育てなくても良いかなと考えてしまいます。私立中学に行かせないまでも、それなりに習い事をさせたりして、刺激を与えようとしてしまいます。親心ってやつですね、これ。

「あそこの学校は荒れている」と聞けばそこの学区を避けて住む所を選んでみたり。自分自身はそういう、不良みたいな人達との付き合い方、処世術もごった煮の学校で学んだと思うんですけどね。実は子供なんて勝手に育つものであり、教育について考えるのは、親の自己満足なのかもしれません。それでは、また。