「学ぶ」「教える」「成功する」。誰もが「信用の器 フラスコ」を持ち、育てて、つながる10万人のコミュニティ・プラットフォーム

信用の器 フラスコ

動画が面白過ぎて仕事にならないのですが

人生計画であなたの夢を目標に変えて実現する、シナジーブレインの安田修です。

最近はYouTubeに慣れるべく、常に動画を「流しっぱなし」にしているのですが、そのせいで仕事が全然手に付きません。ブログすらまともに書けなくなってしまうんですよね。これ、何だろうと考えてみました。

動画の「調査」で一日が終わる

前にも書きましたが、私は今までYouTubeってほとんど触ったことがなかったんですよ。もちろん、何かを調べているときに動画にぶち当たり、YouTubeを「使って」いたことはありますが、YouTubeそのものの機能を意識して使ったことはありませんでした。今回、動画に取り組む上でこれではいかんと思ったわけです。

いわば「調査」です。朝から晩までずっとYouTubeを観ているので、端から見るとかなりのダメ人間みたいな感じになっているのですが、実際仕事が全然進んでいません。なんて言うか、面白すぎるんですよね(笑)。私はもともと落語とかお笑いが好きなのですが、だらだら時間を使ってしまうので封印しているんです。

それがYouTubeという画期的なシステムにより、芸人さんのハイライトシーンが次から次へと。このままじゃダメだとセミナー動画を観ても、これがまた面白い。「セミナー講師ってある意味、芸人なんだな」という変な気付きがありました。動画を流しながら書いているので考えが纏まりません(笑)。

話芸は勉強になるという言い訳

私は「売れているお笑い芸人が世の中で一番頭が良い」と真面目に思っています。お金が集まる所に才能は集まるので、今だとお笑い芸人か経営者か、サッカー選手でしょうね。それらの世界の中で熾烈な競争を勝ち抜き、トップをとる人達というのは本当に、賢いと思います。

他の人のセミナー動画も研究しているのですが、いつのまにかすべらない話、キレ芸、漫才、コント、落語・・・こういう好きなコンテンツに目が向いてしまい、「まあこれも、話芸だから勉強になるよね」と言い訳をしながら、だらだらと流し続けてしまいます。これが全て無料なのだから、凄い時代ですよね。

ちなみに、「日本の話芸」というNHKの番組が好きで、高校生の頃は深夜によくこっそり観ていました。落語などの話芸を淡々と流すだけという画期的な番組でした。今でも、たまに池袋の寄席に遊びにいったりしますが、これはガチで勉強になります。人前で話をするなら、落語の研究は必須でしょう。

「習うより慣れろ」は必要

あと、使っているうちにシステムがわかってくるんですよ。最初に本を「YouTube入門」みたいな本を3冊くらい読んでから取り組んでいるのですが、「アノテーション」とか「カード」とか言われてもピンとこないわけです。「動画リスト」と「チャンネル」はどう違うんだとか。いやこれは今でもちょっとアレですが。

ある動画を観た後に、次のアクションはどういう基準で起こすのかなとか、やっぱりユーザーの立場で使ってみるのが一番早いんですね。どんな広告ならうっとうしいと感じるかな、とかリンクをクリックして欲しかったらどうしたら良いのかな、とかですね。だから「調査」は必要なんです。

「作業」ばかりやっていて、結果として適当に動画を垂れ流しても、誰も観てくれないのでムダになります。まじめに作業をすることが仕事かというと、私はそうではないと考えています。遊びの中にこそ仕事のヒントはあり、遊びと仕事の境界線がなくなるやり方が理想の働き方ではあります。

やっぱり、テレビ漬けは頭に悪い気がする

なのですが、この思考力の低下は尋常ではないなと。裏でYouTubeの音声が流れているだけで、文章が全く構成できなくなります。作業を進めようと言う気力も湧いてこなくなります。だらだら長時間テレビを観るのは思考力を低下させるというのが持論なのでテレビは観ないのですが、久しぶりに実感しました。

なんて言うんですかね、脳の中に文章を書くチャンネルと全体を編集するチャンネルがあって、編集するチャンネルの方が音声に占領されてしまう感じです。画像も見てしまうと、それで両方とも塞がってしまい、何もできなくなります。「ながら作業」はできないと言われていますが、私の場合は同時にできることは2つのようであり、ブログを書くという作業は実は「2つのチャンネル」を使う作業のようです。

思えばセミナーをやっているときも、喋ることと全体の構成を考えることを同時にやっている気がします。音声とゲームとか、SNSとかそういう単純なことなら両立するのですが、勉強や仕事は無理ですね。ということがわかりました、という話です(笑)。YouTubeを流しっぱなしにするのは、仕事のクオリティを著しく下げるのでやめておこう、という結論になりました。それでは、また。