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信用の器 フラスコ

ゲームにハマった黒歴史(10万字の長すぎる自己紹介4/50)

長期的な視点であなたの夢を目標に変えて実現する、人生計画マスターコーチの安田修です。

この記事は、人生計画フォーラムのコミュニティ・プラットフォーム・システムの開発に関するクラウドファンディングプロジェクトが47日後の7/7(金)までに200万円の目標額を達成するために毎日2,000文字以上、書いています。今回はちょっとダメな方の話。ゲームが好きなんですよというところに特化して描いてみます。

入り浸りからゲームウォッチへ

前にも書きましたが、激しくねだっていたにも関わらずファミリーコンピューター(以下、ファミコン)が安田家に来たのは比較的、遅い方だったので最初はもっぱら友達の家に行ってゲームをしてました。ファミコンはもちろん、進んでいる家庭には当時でも、ゲーム機やパソコンがあったりしたんですよね。

時系列的にはファミコンより前かもしれませんが、ゲームウォッチっていうのがあったのみなさん覚えていますかね。「ドンキーコング」とか単一のゲームが今のスマホより大きい端末に入っているんです。パカって上下に開いてマルチスクリーンになったりして、当時としては画期的な技術革新が繰り返されていました。

ゲームウォッチはいくつか買ってもらったり、やっぱり友達の持っているものを入り浸ってやらせてもらったりしていました。子供にあっさりWiiUを買ってあげたのは、一つにはこの経験から「どうせ買わなくても友達の家に入り浸るようになるだけだしな」という確信があったからです。息子も私にそっくりで、かなりのゲーム好きですからね。

ファミコンからPS2くらいまで

小学校3〜4年の時に、ついに我が家にファミコンがやって来ました。最初のソフトは忘れもしない『F1レース』と『ナッツ&ミルク』でしたね。『ゼビウス』『スターフォース』にハマり、『スーパーマリオブラザーズ』が時代を作り、『ベースボール』から『ファミリースタジアム』への進化は衝撃的で、『スターラスター』『バンゲリングベイ』など子供には難しすぎるけれど、今思えば画期的なゲームも買いましたね。

中でもセンセーショナルだったのは『ドラゴンクエスト』でしょうね。なんだこれって思いましたよ。ⅡになりⅢになり、『ウィザードリィ』『ウルティマ』『ファイナルファンタジー』など、画期的なコンセプトのゲームに次々ハマり、『ポートピア連続殺人事件』『信長の野望』ではアドベンチャーやシュミレーションという新ジャンルに。

スーパーファミコンやプレイステーションになってさらにゲームは高度になり、自分自身の成長に伴ってということもあり『ダービースタリオン』『三国志』『提督の決断』『大航海時代』『太閤立志伝』『サカつく』『やきゅつく』などなど、じっくり時間をかけて取り組むマニアックなゲームが好きになりましたね。グラフィックとかではなくて、脳内で多くの情報を補完するタイプのゲームが好みです。

書いていて気づきましたが、遊んだタイトルを並べるだけで10万字いけそうな勢いです。たくさんのソフトを買ったわけではなく、当時は1本買ったら友達と貸し合って、多くのゲームをプレイできたんです。今はメーカーも賢くなってきてライセンスを1人1つ持たないと対戦できなかったりして、遊べるゲームの数は減っているような気もします。

テーブルトークRPGからスマホゲーム

黒歴史と言われて真っ先に思いつくのがこれですね。テーブルトークRPGっていうジャンルがあって、ゲームマスターっていう司会・審判役とプレイヤー数人がサイコロを振りながら紙と会話でゲームをするというものなんですけど、高校の時に『ソードワールドRPG』っていうシステムを使って友達数人とこれで遊んでいました。

ゲームマスターをやっている時が一番楽しかったですね。世界観を作って台本を書いて、でもプレイすると予想外のことがたくさん起こるのでアドリブで対応するんです。プレイヤーもそうですけど、ゲームマスターは敵キャラから村人みたいな脇役から全て担当で、即興劇みたいな感じでそれぞれの役割を演じるんですよ。

さすがに、今ではネットゲームに吸収されましたかね。ちなみに私はネットゲームはやらないことに決めました。「廃人」になるのがわかりきっていますから。パチンコ・タバコ・ネトゲ。これが私にとっての人生の3大禁忌で、全て中毒性に抗える自信がないからです。スマホでちょっと、流行りのソーシャルゲームを試してみるくらいです。

そしてビジネスへ・・・

そんなわけで(どんなわけだ?)、私は「子供にとってゲームが有害だ」なんて毛ほども思っていません。もちろん無制限に一日中やってたら人としてはダメになりますけど、考える能力を育む上で、ゲームというヒントは必要なのではないかと思ってたりします。全てのゲームは、優秀な大人がチームを組んで真剣に考えたものばかりですからね。

コミュニティ・プラットフォームを作るという仕事は、ゲームを作るのにも似ていると感じています。システムですからね、両方とも。それで、何かを作る時には、どっぷりと遊んだ経験が必要なんです。でも不思議と、ゲーム制作会社に入りたいと思ったことはなくて、それをするとダメな人になる感覚があったのかもしれません。

まあなんであれ、ある一時期に熱中して何かをやっておくことにはきっと意味があって、それがゲームだからダメだとかいうことはないと思うんです。例えば時間が無限にあったら、今でもゲームをするかなあ。仕事の方が面白いから、その必要はないかもしれないような気がしますけどね。それでは、また。