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信用の器 フラスコ

働かない自由、働く自由

夢とお金の専門家、シナジーブレインの安田 修です。

会社を辞めて自分で事業をするようになって一番変わったのは、働く時間に対する考え方だと思います。働かない自由と働く自由が、起業家にはあるんですよというお話です。

働かない自由

起業家というのは、実は一歩間違えれば失業者なんですね。結構、紙一重です。何もしなくても誰も叱ってくれないので、「毎日が日曜日」なんてことも可能です。朝は起きなくても良いし、昼間からお酒を飲んでいても良いし、気分が乗らない日は勝手に休みにしてしまえば良い。下手すると、完全なダメ人間になるので危険です。

せっかくなので(?)私もこの特権を活かし、朝から年金生活者の人にまぎれてジムに通ってみたり、子供の卒園式と入学式の両方に参加してみたり、天気が良いときに思い立って花見をしてみたりしています。サラリーマン根性が抜けないのでかなり不安な気持ちになりますが。

結局、働かない自由というのは、「仕事が入ってこなくなるのではないか。食えなくなるのではないか」という不安と背中合わせなんですよね。私はこれを、野良猫の自由と呼んでいます。

不安との戦い

私の知人で大先輩の起業家が仰っていた、起業の良いところを凄く良く表現した言葉で、「不安はあるが、不満は無い」というのがあります。これは言い得て妙ですね。うまいことを言います。裏を返せば、人間関係ややらされ仕事の不満を独立によって解消する代償が、不安だということですね。

私はある程度、(人生計画書に基づいて)経済的な基盤を作ってから退職をしているので、「すぐに黒字にしないと倒産する」という状態ではありません。資本金が無くなったら増資できるだけのバッファも持っています。だからまだ実感は無いのですが、やはりキャッシュフローのことを考えると怖いような気もしてきます。

しかし、この不安に負けて「何でも良いから収入の入る仕事を」という発想になったら終わりです。それって、アルバイトをすることと同じですから。そこで時間を使うくらいなら、サラリーマンを続けていた方が良かったと思います。あくまで時間は攻めに、将来に対する投資に使うべきです。

働く自由

起業をしてしまうと、攻めに使う時間、将来に対する投資に使う時間はある意味、無制限です。経営者は労働基準法に守られていないので、土日も仕事をして良いし、寝ずに仕事をしても良いんです(笑)。これが働く自由です。働き放題。早く帰ってね、なんて言ってくれる上司もいません。

これはこれで、危険なんですよ。何しろ攻めに使っている時間は充実感があり、楽しいんですよね。やればやるだけ、結果も出ます。全責任を追って、出た結果は全て自分のもの。仕事をする上で、こんなに楽しいことはありません。いくらでも仕事をしていたいという感覚になるんです。そうじゃない人は、起業なんてしないはずです。

起業家で離婚をしている人が多いのは、きっとこれが一番の原因でしょう。女遊びとかお金の問題とかは、主たる原因ではないはずです。仕事に熱中しすぎて、家庭を全く顧みなくなってしまう。私は、世の中で一番怖いのは熟年離婚だと思っていますから、ここには万全の注意を払いたいところです。

なので、弊社は強制的に日曜日は休むことにしています。よほど動かせない予定が入らない限り、絶対に家族と過ごす。こういう決めを作っておかないと、日曜日も仕事をしたくなるからです。ちょっとサラリーマン時代にはあり得なかった感覚ですね。

「労働」という感覚

起業をしてから、「労働」をしているという感覚がありません。誰かにやらされている仕事ではなくて、自分がやるべきだと心から思うことしかやっていないからでしょう。たまには雑務もありますが、それすらも全ては自分のためです。そのうち人を雇ってお願いするから、一度くらいはやっておこうか、という感じで楽しんでやっています。

サラリーマン時代もこんな感覚で仕事をしていれば良かったのでしょうけれども、それは恐らく私には無理でした。自分の成果が、会社という砂漠にすーっと吸い込まれていくような、そんな感覚。やってもやらなくても、大きくは変わらないという諦観が、表面には出さないまでも心のどこかに常にありました。

時間は適切にコントロールされていましたが、「何のためにやっているのか」と考えながらする仕事は、とても疲れるものでした。クライアントではなく、社内の誰かを喜ばせるためにする仕事も苦手でした。私にはこっちの方が圧倒的に合っていると確信しています。水を得た魚のようで、終電までやっていても、ほとんど疲労を感じません。

今回は、起業という働き方を良く書きすぎたかもしれません。そんな、何もかもがハッピーなんてことはないでしょうし、私もそのうち壁にぶつかることでしょう。今はきっと、新鮮だから良く思えるだけなんですよね。でも、この新鮮な気持ちを書き残しておくことにも意味はあるんじゃないかな、なんて思ったわけですよ。それでは、また。