「学ぶ」「教える」「成功する」。誰もが「信用の器 フラスコ」を持ち、育てて、つながる10万人のコミュニティ・プラットフォーム

信用の器 フラスコ

息子の誕生とニューヨーク!(10万字の長すぎる自己紹介23/50)

長期的な視点であなたの夢を目標に変えて実現する、人生計画マスターコーチの安田修です。

この記事は、人生計画フォーラムのコミュニティ・プラットフォーム・システムの開発に関するクラウドファンディングプロジェクトが28日後の7/7(金)までに200万円の目標額を達成するために毎日2,000文字以上、書いています。この頃、長男が生まれます。そして生まれてほやほやの頃、ニューヨークで研修を受けるというチャンスを掴みます。

証券アナリスト業務を希望する

財務フロントの仕事を担当させて貰うことには、問題もありました。それが一番やりたい仕事だったので、次のキャリアビジョンが見えなくなるんです。フロントの経験を活かして企画系の仕事や、投資全体のことを考える部署が出世コースなのですが、そういうの全く興味がなかったんですよね。大変なだけであんまり面白くないよね、と。

財務営業を2年もやっていると、それを一生続けたいとまでも思えなくなってきますし。そういう紆余曲折の結果、私が描いたキャリアビジョンは証券投資への展開でした。それもフロントで、理想的には海外で社債投資のポートフォリオマネージャーを担当したいと。融資で得たノウハウは活かせますし、適性も高いと思っていました。

いかにやりたいことをやるのがテーマとは言え、システムからフリーエージェント制度を使ってまで財務に来て、企画業務をもう一年という上司の打診を断り、今度は海外で証券アナリストをやりたいと。いくら何でも、これでは出世は難しいでしょうね。常にインプットして、自らの経験と能力を最大化することだけを考えていましたから。

こさむの誕生

そんな頃、待望の第一子が誕生します。妻のお腹にいる頃から男の子だとはわかっていたので、「こさむ」と呼んでいました。私がおさむなので、お〜さむこさむのこさむです。何度か「本当にこさむっていう名前にしちゃおうか」と妻に言い、妻が全力で阻止した(結果、こさむに響きの似た今の名前になった)というエピソードもあります。

出産はなかなかの難産で、妻は病院に3泊しました。私は会社を休み、泊まるわけにもいかないので病院と家を往復していました。そして、誕生。感動というか、ホッとしたというのが正直なところです。生まれた瞬間は「サルっぽい」としか思いませんでしたが、日増しにかわいくなっていきました。そんなとき、仕事は忙しいものなんです。

ニューヨークに行きたいか

妻が妊娠している間に、上司から「ニューヨーク、行きたい?」という打診がありました。そりゃ、行きたいでしょう。出産を控えていることは頭をよぎりましたが、それでこのチャンスを逃す手はありません。妻に相談の上で、ぜひ行きたいと答えました。本人に打診が来る段階では、こういうのはほぼ決まっているんですよね。

「例の件、あなたに決まったから」と言われ、ニューヨークでの研修が決まりました。社債投資について学び、日程の後半では、希望している米国子会社の部署も見せてもらえるということで、ほぼ理想的なお話です。社会人としては10年目になっているので若くないのですが、それでも希望を聞き、育てて貰えるのがありがたいですよね。

また慌てて英会話の学校に通い、付け焼き刃で会話力を強化しました。そこの先生からは「大丈夫、ニューヨークは英語を話せない人の方が多いから。あなたの英語は上手な方だよ」って言われてちょっと安心したりして。まあ客観的にみて、サバイバル英語以上のものではなかったですよ。

マンハッタンでの日々

ニューヨークに滞在したのは3週間程度でしたが、密度の高い日々でした。研修はもちろん、夜には本場のミュージカルを観たり、週末には深夜バスでアトランティックシティやナイアガラの滝を見に行ったりと、プライベートも充実させました。他の金融機関からも選り抜きのメンバーが参加していたので、彼らとの交流も貴重な経験でしたね。

滞在していた間ずっと「人生は楽しい!」という腹の底から湧き上がる声を聞いていました。旅と学びが交錯するところに自分の理想の状態があるような気づきがあり、短い期間ではありましたが、この時の経験は今の自分の大事な部分を形作っていると思います。自由と好奇心、このキーワードがここに紐づいているような気もします。

帰朝報告と次なるビジョン

米国子会社ではタイトな日程の中でレポートを仕上げたり、それなりに大変でしたが気合いで乗り切り、帰ってからも十分な準備期間もなく「帰朝報告」という名前の報告会に引っ張り出されたりして冷や汗をかきましたが何とかこなし、「安田は融資だけでなく、投資もできるのでは」という雰囲気を醸成することができたように思います。

海外で仕事をしたいという思いは高まっていましたが、結論から言えばこれは実現しませんでした。可能性はあったと思うのですが、わずかに歯車が噛み合わず。いくら何でもそんなに望みが叶い続けるわけもないので、それが当たり前と言えばそうなのですが、確かに「惜しかった」という感覚があるんですよね。それでは、また。

長期的な視点であなたの夢を目標に変えて実現する、人生計画マスターコーチの安田修です。

この記事は、人生計画フォーラムのコミュニティ・プラットフォーム・システムの開発に関するクラウドファンディングプロジェクトが28日後の7/7(金)までに200万円の目標額を達成するために毎日2,000文字以上、書いています。この頃、長男が生まれます。そして生まれてほやほやの頃、ニューヨークで研修を受けるというチャンスを掴みます。

証券アナリスト業務を希望する

財務フロントの仕事を担当させて貰うことには、問題もありました。それが一番やりたい仕事だったので、次のキャリアビジョンが見えなくなるんです。フロントの経験を活かして企画系の仕事や、投資全体のことを考える部署が出世コースなのですが、そういうの全く興味がなかったんですよね。大変なだけであんまり面白くないよね、と。

財務営業を2年もやっていると、それを一生続けたいとまでも思えなくなってきますし。そういう紆余曲折の結果、私が描いたキャリアビジョンは証券投資への展開でした。それもフロントで、理想的には海外で社債投資のポートフォリオマネージャーを担当したいと。融資で得たノウハウは活かせますし、適性も高いと思っていました。

いかにやりたいことをやるのがテーマとは言え、システムからフリーエージェント制度を使ってまで財務に来て、企画業務をもう一年という上司の打診を断り、今度は海外で証券アナリストをやりたいと。いくら何でも、これでは出世は難しいでしょうね。常にインプットして、自らの経験と能力を最大化することだけを考えていましたから。

こさむの誕生

そんな頃、待望の第一子が誕生します。妻のお腹にいる頃から男の子だとはわかっていたので、「こさむ」と呼んでいました。私がおさむなので、お〜さむこさむのこさむです。何度か「本当にこさむっていう名前にしちゃおうか」と妻に言い、妻が全力で阻止した(結果、こさむに響きの似た今の名前になった)というエピソードもあります。

出産はなかなかの難産で、妻は病院に3泊しました。私は会社を休み、泊まるわけにもいかないので病院と家を往復していました。そして、誕生。感動というか、ホッとしたというのが正直なところです。生まれた瞬間は「サルっぽい」としか思いませんでしたが、日増しにかわいくなっていきました。そんなとき、仕事は忙しいものなんです。

ニューヨークに行きたいか

妻が妊娠している間に、上司から「ニューヨーク、行きたい?」という打診がありました。そりゃ、行きたいでしょう。出産を控えていることは頭をよぎりましたが、それでこのチャンスを逃す手はありません。妻に相談の上で、ぜひ行きたいと答えました。本人に打診が来る段階では、こういうのはほぼ決まっているんですよね。

「例の件、あなたに決まったから」と言われ、ニューヨークでの研修が決まりました。社債投資について学び、日程の後半では、希望している米国子会社の部署も見せてもらえるということで、ほぼ理想的なお話です。社会人としては10年目になっているので若くないのですが、それでも希望を聞き、育てて貰えるのがありがたいですよね。

また慌てて英会話の学校に通い、付け焼き刃で会話力を強化しました。そこの先生からは「大丈夫、ニューヨークは英語を話せない人の方が多いから。あなたの英語は上手な方だよ」って言われてちょっと安心したりして。まあ客観的にみて、サバイバル英語以上のものではなかったですよ。

マンハッタンでの日々

ニューヨークに滞在したのは3週間程度でしたが、密度の高い日々でした。研修はもちろん、夜には本場のミュージカルを観たり、週末には深夜バスでアトランティックシティやナイアガラの滝を見に行ったりと、プライベートも充実させました。他の金融機関からも選り抜きのメンバーが参加していたので、彼らとの交流も貴重な経験でしたね。

滞在していた間ずっと「人生は楽しい!」という腹の底から湧き上がる声を聞いていました。旅と学びが交錯するところに自分の理想の状態があるような気づきがあり、短い期間ではありましたが、この時の経験は今の自分の大事な部分を形作っていると思います。自由と好奇心、このキーワードがここに紐づいているような気もします。

帰朝報告と次なるビジョン

米国子会社ではタイトな日程の中でレポートを仕上げたり、それなりに大変でしたが気合いで乗り切り、帰ってからも十分な準備期間もなく「帰朝報告」という名前の報告会に引っ張り出されたりして冷や汗をかきましたが何とかこなし、「安田は融資だけでなく、投資もできるのでは」という雰囲気を醸成することができたように思います。

  • 海外で仕事をしたいという思いは高まっていましたが、結論から言えばこれは実現しませんでした。可能性はあったと思うのですが、わずかに歯車が噛み合わず。いくら何でもそんなに望みが叶い続けるわけもないので、それが当たり前と言えばそうなのですが、確かに「惜しかった」という感覚があるんですよね。それでは、また。