「学ぶ」「教える」「成功する」。誰もが「信用の器 フラスコ」を持ち、育てて、つながる10万人のコミュニティ・プラットフォーム

信用の器 フラスコ

〆切はフィクションであり、実際には存在しない

フラスコ代表、安田です。事実と解釈を分けましょうって言っていてふと思ったんですけど、仕事の〆切って典型的な「事実」のようでいて、実は「解釈」なんじゃないかって。ちょっと不思議な話です。

サラリーマン時代の〆切

私が会社員をやっていた頃、仕事の〆切は絶対でした。上司に「いつまでにやっておけ」と言われたら、それに間に合わないなどということはあり得ませんでした。〆切は最優先。残業や休日出勤をしてでも、何とか間に合わせたものです。

思えば子供の頃から、期限というのは誰かに決められるものであり、それを守ることに特に疑問はありませんでした。大学受験など、大きな〆切を守るために自分で小さな〆切を設定することはありましたが、ある種の喜びすら持って、それに間に合わせる努力をしてきた気がします。

ある程度社会人としての経験を積むと、仕事を受け取るときや節目に今の状況を説明して期限の交渉をするようにはなりましたし、小さな〆切は自分でコントロールできるようになりましたが、やはり期限は守るのが当然という意識は、変わりませんでした。

〆切を守らない人の存在

会社にも、〆切が守れない人というのはいるものです。ぎりぎりまで引っ張ってギブアップし、上司や同僚に迷惑をかけてしまうパターンを繰り返すと、もう社会人としてはアウトです。その人が評価されることは絶対にありません。

これがフリーランスになるともっとひどくて、確信犯的に〆切を破る人の比率は大幅に高くなります。やはりフリーランスの世界でも、そういう人は信用を失ってうまくいかなくなるのが普通です。私もそういう人に仕事をお願いしたいとは思いませんし。

でもこれが、その人の能力が極めて高くて余人をもって代えがたいのであれば、発注する側が頑張るしかありません。典型的には作家とか。〆切を伸ばすことで良い仕事ができるのであれば、その弱点には目をつぶるという世界もあるんだなと気付かされました。

自分で〆切を決める

自分で起業してビジネスを立ち上げたら、当然ながら上司はいません。ほとんどの仕事では、〆切を設定してくれる人は誰もいないわけです。そういう中で自分でスケジュールを引いて、〆切を決めていくのが起業だとも言えるでしょう。

ああ上司というのはありがたいものだったのかもしれないな、と思ったりもします。人に決められた〆切で、決められた作業をやっていれば給料を貰えるというのは楽ですからね、ある意味。何も考えなくて良いですから。

その「コントロール」を自分で取り戻して、仕事の内容(その範囲・定義すら)自分で決めて、〆切を設定していくと、今まで認識していた〆切感とはちょっと違った景色が見えてきます。

〆切直前に仕上がる仕事、1日伸ばしにする仕事

例えば、セミナーを開催すると決めたとします。それほど多くの人を集客するのでなければ、1ヶ月あれば準備はできると踏んで、小さな〆切を設定していきます。この日までに告知を初めて、この日までにスライドを作ろうとか。

突発的な他の仕事や体調不良など何が起こるかわかりませんから、少しずつ余裕を持った〆切設定をするわけですが、これがまあ、その余裕通りに仕上がることはまずありません。セミナーのスライドだったら開催前日か、当日にピッタリ仕上がることが常です。

明日までにスライドを作るという「小さな〆切」を設定してみても、当日までにあれば良いという「本当の〆切」を自分が知っているので、どうしてもそうなるんですね。ずるずると1日伸ばしにして、ぎりぎりで本気を出します。ええ、いつもです。

6月までの仕事を4月にやってみて

ところが直近、それとはまた違う経験をしています。来年から本当にやってみたいと思えることが見つかったので、「一生分の仕事を今年、やり切ろう」と決めました。ビジョンの明確化ってやつですかね。

逆算すると、今年の仕事は6月くらいで終え、6月までの仕事は4月までにやり切るという計算になりました。6月までの作業はもうさすがに具体的に見えていますから、それをリストアップして4月中に詰め込んだんです。

そうすると、あっさりとほぼ完遂できたんですよこれが。ビジョンが明確であることが前提ですが、やると決めたら普通にできるんだなと。交流会への参加やゲームなど、犠牲にしたものはありましたがそれでも、できるんです。

その〆切は「事実」か?

で、今に至るわけですが。「あれ、じゃあ〆切ってなんだっけ?客観的に存在するの?」っていう哲学的な気分になってるんですね(笑)。

〆切って、フィクションなんですよきっと。人間が生み出した多くの虚構の一つです。これがあるから、世の中が円滑に回るという便利な虚構。そもそも「セミナーをやろう」という仕事自体も、虚構といえばそうですから。

そう考えるとほとんど全ての我々が仕事だと思っているものは、フィクションなのではないでしょうか。誰かが妄想をして、ビジョンを描き、信念を持つことで限りなく事実に近くなっていくというだけのことで。

ちょっと何を言っているのかわかりませんか。そしてだから何って言われても困るのですが、まあ、やりたいことをやったらってことですかね。妄想と事実の間には、あなたが思っているほど大きな垣根はないんですよ。

稼ぐ力であなたの人生を進化させる
AI ChatBot フラスコ君
公式イベント 詳細はこちら
コミュニティー・プラットフォーム 信用の器 フラスコ説明会
フラスコノート会
フラスコ交流会

メルマガに登録する

* indicates required
夢とお金の彼方