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なぜ日本人は、お金のことを話すのをここまで嫌がるのか

フラスコ代表、安田です。『お金が増えるノート術』が12/13(水)に発売になります。お金本を出すからには、一定程度はバッシングを受けることは覚悟しています。お金の話を嫌がる人、多いですからね。それがなぜなのか考えてみます。

徳川家康と江戸時代

私も好きな漫画『インベスターZ』には、「金は汚いもの。この思想を昔、国にバラまいたヤツがいる」というセリフがあります。致命的なネタバレというほどでもないので書いてしまうと、それは徳川家康だって言うんですね。言わずと知れた、戦国時代を終わらせた征夷大将軍、江戸幕府の祖。大御所です。

私がもっと好きなゲーム『信長の野望』では良く松平(徳川)でプレイするので、愛着があるのですが。でも確かに言われてみると、あれは日本人の心の奥深くに「お金は汚い」という思想を植え付けたよなあと思ってしまいます。しかもそれは、完全に意図的だなとも。徳川家康とその家臣団、めちゃくちゃ賢いですから。

何をやったかというと、これもみなさんご存知の「士農工商」とか「武士は食わねど高楊枝」ですね。商売人は卑しいという思想を植え付け、武士や農民は貧しいからこそ尊い、みたいな。これは商人が力を持つことを恐れたからこそですし、外様大名や農民には財産を吐き出させる一方で、幕府はしっかり蓄財をしていましたから。なかなかしたたかというか、根深いことをやったなあと。

第2次世界大戦

それが泰平の江戸時代260年に直結したので、幕府としては極めて「正しい」やり方だったのでしょう。そしてそれが日本の文化であり、日本人の気質にまで影響を与えてるのもまた、事実でしょう。もともと日本は村社会の性格が強く、上から言われたことはできるだけちゃんと守ろうというまじめな性質もあるので。

その江戸幕府も明治維新でひっくり返り、近代化なった日本は世界の列強と戦争をするようになります。この良し悪しを論じるつもりはありません。ただここでお伝えしたいのは、第2次世界大戦末期には日本の資源は付き、国民の生活は極めて貧しい状態になっていたということです。

「欲しがりません、勝つまでは」なんていうキャッチフレーズが流布して、みんなで国のために貧乏になりましょうという歪んだ価値観が形成されました。今の私たちから見れば、節約をすれば戦争に勝てるとは思えませんが、ともかく大真面目に(反感も感じつつも)当時はみんながそれをやっていたということです。

バブル崩壊

そうして日本人の国民性が形成されたと私は考えているのですが、歴史的にはそれが揺らいだ一時期があります。バブル経済です。なお江戸時代や戦時中はもちろん、このバブルですら私は実感としては知りません。社会に出たらもうそれは崩壊していて、思い出の中に生きている抜け殻みたいな先輩社員だけを見てきているので。

ともかくバブルの間は「もっとお金に興味を持って良い」「投資をしないやつはダメだ」みたいな価値観が支配的になったことでしょう。それが自体は悪いことではないような気はしますが、明らかに一部の人や会社は調子に乗りすぎました。とにかく明日は今日よりも株価が上がるのだから、倍々プッシュだ!というノリです。

当然そんなことは長く続くはずはなく、バブルが急速に崩壊するに至るわけですが、そこでマネーゲームに参加していた人は大きな傷を負います。「投資なんてするもんじゃない」という誤った学習をしてしまうんですね。これは、リーマンショックや関東大震災などの暴落期には繰り返し起こっている現象です。

学校教育と家庭

とまあこんな感じで「お金は汚いものだ」という思想が染み付いてきていると私は捉えています。学校教育もその思想の影響からは逃れられません。少なくともお金を稼ぐのが好きな人は、学校の先生にはならないでしょう。

うがった味方をすれば、国としてはその状態は決して「悪くない」のです。欲張らず、文句を言わずに、黙って働いてくれる国民が多い方が良いのです。もともと学校は兵隊を育てるために作られましたし、近代以降は工場労働者を、今は官僚やサラリーマンを育てるためにあるので。起業家は「求められていない」んです。

家庭での会話も誤った学習を強化します。例えばフェラーリに乗っている人を見れば「うちは真面目に働いているから、あんな車には乗れないんだよ」と、あたかもお金を持っている人が悪いことをしているかのような発言は、誰しもうっかりしてしまうことがあるでしょう。心の奥底には僻みや羨みもあります。考え方は「遺伝」していくんです。

正しい知識が必要

なんかこの辺は一歩間違うと陰謀論みたいになってしまうので理解は得られにくいところですが、私はこれくらいまでは合理的で、客観的な世界観と言えるだろうと考えています。国家をうまく運営していく、企業を繁栄させていくことと個人の幸せは矛盾する。そこまで言ってしまうと「思想」ということになりそうですが。

しかし私個人の「思想」としては、国や企業の言いなりになって、真面目にコツコツ働く先に幸せを見出すことはできませんでした。だからこそこうして今、起業をして本を書いたりしています。「みんな気づいて!王様は裸じゃないか!」って叫び続けている感じですね。

あまり多くの人に理解される考え方ではないというのは、社会構造上仕方ないし、健全ですらあるのでしょう。80億人が個人の幸せを追求して生きられるだけの資源が、まだ地球上にはないのかもしれない。まあとりあえず、先に行って待ってます。『お金が増えるノート術』を読んで、追いかけてきて下さいね!

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夢とお金の彼方