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信用の器 フラスコ

ブログを炎上させる意味

フラスコ代表、安田です。ブログを炎上させて閲覧数(PV)を稼ぎ、アフィリエイト収入を得るというビジネスモデル(?)が一時期流行りましたが、今はかなり減りましたよね。これはなぜでしょうか。そもそも、炎上マーケティングは有効なのでしょうか。考えてみましょう。

「炎上芸」の仕組み

お名前を出すと恐縮ですが、炎上芸と言われてすぐピンとくる方ばかりではないでしょうからあえて挙げると、イケハヤさんとかはあちゅうさんとかが得意(?)とするのが炎上マーケティングです。一時期のホリエモンさんとかキングコング西野さんも良く炎上していましたが、これは炎上させる意図はなく、単に「思ったことをそのまま言う人」だというだけです。そこは明確に区別できます。

何で区別されるか。それは、「PV数が収入に直結し、それを目的としているかどうか」です。感情を逆なでするような記事を投稿すれば、SNSをはじめとする各種拡散媒体で否定的なコメントがされ、反論とともにシェアされ、結果としてはその記事が非常に多くの人に読まれます。記事にはアフィリエイトリンクが付いていて、中にはクリックする人もいるのでチャリンチャリンと小銭が落ちます。

小銭といっても、PVが100万ともなれば10万円単位の収入になりますから、決してバカにはできません。「炎上してくれてありがとう」なんて自虐的に彼らが言うのももっともで、アンチの人たちは彼らを叩くつもりで支援してしまっているのですね。もちろん、投稿する方はそこまで計算して記事を書いていますから、かつては完全に「炎上芸」は職業として成り立っていました。

バズと炎上の違い

かく言う私も、事業を立ち上げたばかりのころは記事を炎上させたりする「実験」をしていました。「バズマーケティング」と呼んでおり、共感を得たりファンを獲得することを主な目的としていましたが、結論を言い切ることによる反発は避けられず、炎上することもありました。バズる記事と刺さる記事を組み合わせることで、興味を持ってくれる人を増やしたんですね。そしてそれは一定、成功しました。

炎上とバズの明確な違いはありません。体感ベースで言えば、「賛成1:反対9」くらいだと完全に炎上、「賛成9:反対1」くらいならきれいなバズ、そして多くの投稿はその間のどこかに収まる、という感じでしょうか。難しいのは「賛成10:反対0」の記事はあまり人には読まれないということです。反論の余地がない完璧な文章は、記事としての価値はあまりないと言っても良いでしょう。

オンラインサロンの出現

今でももちろん、炎上はあります。あいかわらず日々のネットニュースは騒がしく、炎上の数自体は減っていないように見えるかもしれませんが、私は「意図して炎上させる人が目に見えて減ったな」と感じています。その大きな理由は、オンラインサロンを始めとする、アフィリエイトに代わる新たな課金方法の出現だと思います。今の炎上は、意図せずうっかり起こってしまっているものがほとんどです。

もう炎上させる必要が、あまりなくなってきているんです。かつての炎上芸人たちはオンラインサロンを持ち、そこで本音を好きなだけ書けます。炎上の本質は9割の炎上によって主張を1割のファンの目に止まらせることですから、その1割の人だけを集めて会費を集めることができるなら、もう炎上なんていらないんです。せいぜい、たまに花火をあげて自らの存在を知らせる程度で良いんですね。

なんだかんだ言っても炎上すると他人からの攻撃を受けることになり疲れますし、信用も失いますから、炎上芸人にとっては良い時代になりつつあります。それは私にとっても同じことで、オンラインサロンを持つことで、世間から見れば少数派であり、過激と思われがちな思想を表で書く必要がなくなりました。少数でも良いので理解者だけに届く文章を、本当に伝えたいことを書くことができます。

信用経済と炎上芸

繰り返し書いていますが、これからは信用経済になります。記事を炎上させて多くの人に伝える手法はリスクだけが大きくなり、誰もやらなくなるでしょう。ただ、やったことがあればわかると思いますが、炎上芸にはそれなりに文章力や主張を曲げずに伝える意志の強さが必要であり、それができる人にはオンラインサロンはとても向いています。私も炎上体質なので、それが良くわかるんです。

逆に、今や価値のある尖ったコンテンツはほとんど、無料で読むことはできなくなったとも言えるでしょう。ネットの世界に無料で溢れるのは当たり障りのない、いわば毒にも薬にもならない文章ばかりです。信用経済では人は不寛容になっていきますから、ちょっとでも主張を入れれば叩かれるので、これは書き手からすればやむを得ない流れです。とにかく無難にということで、テレビなんてその典型ですよね。

私たちの選択肢はいくつかあります。その、漂白されたコンテンツの中からわずかに残った本質を抽出して自らの糧にするか、有料のコンテンツに回帰するか、情報発信者にとってはある意味で恵まれた環境を活かして発信する側に回るか。情報の量だけはどんどん増えていく中で、その処理は難しくなり、読み手の賢さがますます問われる時代になっていくことは、どうやら間違いないように私には思えます。

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