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それでも私が書評を書かない、たった1つの理由

フラスコ代表、安田です。私もなんだかんだ、1,000記事も書いているのでもうわりと立派なブロガーだと思うのですが、書評だけは書いていません。書けば良さそうなものなのに、なぜ書かないのかなあと考えたので、そのことを。

書評を巡る状況

もともと私は書評なんてほとんど書いたことがないわけですが、あ、ちょっとだけ書いてみたら全然書けなかったのでそれっきりになっているわけですが。それでも最近、「書評は書いた方が良いかな」と思うことが多くなってきたのでその背景を少しだけ説明します。

それは、私自身が本を出版したことが大きいですね。特に今回の『自分を変えるノート術』は、何人もの方にAmazonレビューだけでなくブログやSNSで紹介して頂いて、それによってより多くの人に本の存在を知って貰えるという好循環が起きています。すごくありがたいので記憶に残りますし、お礼もしたいと思うものなんですよね。

なのに私の方は書評を書かず、SNSでもさほど拡散したりもあまりしておらず、Amazonレビューを書くくらいでごめんなさいってなってます。献本を受けることも少しずつ増えてきて、いつまでも書評を書かないというわけにもいかないかな、どうしたものかなあと。

メリットその1:著者とつながれる

ブログで書評を書くメリットは、明確にあります。そのメリットから挙げていくとまずは、著者とつながれることがあります。ブログを書いてくださった方のことは印象に残り、SNSで絡んだりすることも普通にあります。私はただの著者ですが、中にはすごい影響力を持ったインフルエンサーの方もおり、つながるメリットはとても大きいでしょう。

ここまで書いたらついでに損得勘定で言うと、影響力がそれほど大きくない自分でも書評を書けばその著者の方は覚えてくれていて、次に自分が本を出したときに書評を書いてくれるかもしれません。もともと時間以外にコストのかかることではないので、等価交換だとしても得しかありません。今の私にとっては、これが最大のメリットだと感じています。

メリットその2:頭の整理になる

あとは一般的なメリットですが、本を読んで書評を書こうとすると、それなりにしっかり理解しないと書けません。あとで書評にまとめるんだと思いながら読めば、構造やキーワードが頭に残るようになるでしょう。読んだのは読んだけれども頭に何も残っていない、という残念なことが起きにくくなります。

また、本の構造やキーワードを理解した上でそれを文章という形でアウトプットすることで、記憶にも定着しやすくなります。書いた文章そのものも「外部記憶」として、時間が経ってから見直して素早く思い出すとか、データベース的に機能することでしょう。

メリットその3:ネタ切れが起きない

ブログを書くものにとっては、ネタ切れは永遠の課題です。普通の人が普通に生きていれば、わざわざブログに書くほどの事件はそうそう起きません。そこを考え続けて、「今日こそは書こう」とネタを絞り出すように書いている、というのが大多数のブロガーの実情でしょう。

それが、書評を書くと決めた瞬間にネタ切れの心配がきれいさっぱり、消えてなくなります。1冊の本を読めば1回分のネタが確実に手に入るのですから、これは楽ですよね。そう考えるとやっぱり書評、書こうかな(笑)。

メリットその4:収入が入る

本を紹介してそれが売れれば、収入が入ります。Amazonアソシエイトという仕組みを使えば、商品価格の3%とか、少額ではありますがちゃりんちゃりんと紹介料が得られます。少額と言いましたが、それは1冊とか2冊しか売れない場合のことであって、しっかりとした内容の書評を書き続け、蓄積していけばそれなりの金額になります。

昔はこのブログアフィリエイト収入だけで、最近だとYouTubeの広告収入だけで月何百万とかなんていう話もあって、まあそれはバブルでしょうから落ち着くと普通の人だと数千円から数万円、一流どころ(超一流を除く)でもせいぜい数十万円くらいの水準になるんじゃないでしょうかね。やっぱりほら、需要と供給ってそれなりのところで均衡するもんなので。

ではなぜ書かないか

今の私がブログを書けば、これらのメリットを全て得られるという自信はあります。まあ収入の方はせいぜい数万円でしょうけど、それでも書けば良さそうなものです。実は収入に関しては、起業当初に「アフィリエイトはやらず、ブログでは自社の商品紹介をする」と決めました。その方が長期的には大きな収入になると考えたんですね。これは今でも、変わりません。

それも書かない理由の一つです(だったらたった一つじゃない)。しかし一番大きいのは、「自由」に対するこだわりだろうなと思います。書評を書くとなれば、「読みたい本を、読みたいように読む」ことができなくなる気がするんです。自分が読みたい本をではなく、多くの人が読みたい本を読むようになるし、つまらない本も褒めなくてはならないかもしれない。

広告収入を意識すると、どうしても考え方は影響を受けますからね。かと言って「俺流書評」みたいな感じで、わがままな読み方で思ったことを何でも書いていたら、著者の人を傷つけてしまうかもしれません。それはそれで、望みではありません。

書評は簡単に書けそうに見えますが、本と適切な距離を取り、エレガントに書くのは名人芸で、見た目よりはるかに簡単ではありません。なので尻込みしているだけなのかもしれませんが、いったんは「自由のためにあえて書かない」ということにさせて下さい。そのうち気が変わるかもしれませんから。

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