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AI以降の時代を生きるために、ゲームやマンガは大切な教養なのかもしれない

フラスコ代表、安田です。私はゲームやマンガが好きなのですが、ビジネス界隈の人からは「くだらないことに時間を使う」と否定されがちなので、擁護したくなりました。特にAI時代には、重要になるかもしれません。

ウイニングポストが面白いという話

つい先週、ウイニングポスト10というコーエーテクモの競馬シミュレーションゲームの名作最新版がリリースされたので、わりとどっぷりやっています。これが実に面白い。初めてのユーザーでも楽しめるように作られてはいるものの、前作以前からやり込んだプレイヤーにとっては非常に奥が深いというか、マニアックな楽しみ方ができるように設計されています。

何が面白いかなどを具体的に書き始めると、本が何冊でも書けるくらいの情報量になってしまいます。ごく簡単に書くと明確なゴールは定められておらず(一応エンディングはあるけど、誰も気にしていない)、100人いたら100通りの楽しみ方がある感じ。競馬の歴史だったり、血統の特徴や配合理論などなど、最終的には自分の世界観を実現する、みたいな。ええ、良くわかりませんね。

まあとにかく、ゲームは楽しいです。そして、ひとくちにゲームと言ってもいろいろあります。私のようにじっくり考える系が好きな人もいれば、ロールプレイングやアクション、メタバースにつながるようなゲームもあって、プロリーグが発足していたりゲーム内に広告が出せたりなど、ビジネスでの応用もされています。ゲームだからといって、決して侮れません。

ゲームやマンガは「教養」だ

それで、ゲームとかマンガというのは「教養」なのかなと思っていて。教養ってなんなのとWikipedia先生に尋ねたら、

教養(きょうよう)とは、個人の人格や学習に結びついた知識や行いのこと。これに関連した学問や芸術、および精神修養などの教育、文化的諸活動を含める場合もある。

ということなので、まあ幅広い概念なんですけど。少なくとも私は、ゲームやマンガを通じて得た「知識や行い」への影響はすごく大きいと感じています。例えばウイポだと、競馬の歴史やそれに関係した人々のロマンを学ぶとか、仕組み作りの考え方を自分にインストールするとかですね。ゲームやマンガを作るクリエイターの人、本当に尊敬します。

子供に「ゲームやマンガなんてくだらないからやらないで、勉強しろ」と言うことは教養という観点から好ましくないだけでなく、これからAIの時代になっていく上ではリスクですらあると考えています。むしろ従来の勉強よりも、ゲームやマンガの方が役に立つ可能性が高いのではないかとすら。

AIに人間の仕事は「奪われる」

もはや繰り返して強調するまでもなく、AIの進化によって人間がやらなくてはいけない仕事は減っていきます。私が「AIにどんどん仕事を奪わせる研究所(どん研)」を立ち上げたのも、その流れはもはや不可逆的でめちゃくちゃ速くなるだろうと予想したからです。もはや、一人で情報を追っても追いつかないので集合知を活用するしかない。そんな感覚です。

当面は「いかに仕事を減らして楽になるか」を考えるという「仕事」はありますが、さほど遠くない未来、人間は確実に今より暇になるでしょう。「産業革命やインターネット革命ではむしろ忙しくなったじゃないか」という反論もまだあるでしょうけれど、人類全体での生産性はものすごく上がり、作業量は減っているはずです。空いた時間にゲームをしているから、時間が足りない感じにはなりますが。

ニートについて考える

そこで私がふと思うのは、ニートのことです。最近ではあまりニートを社会問題として取り上げているのを見ませんし、「ニートが減った」みたいなニュースも見た記憶がうっすらあります。ちなみにニートとは「就学・就労しておらず職業訓練も受けていない人を指す言葉です。若年無業者という意味合いもあり、日本ではニートに該当する年齢を15~34歳」のことらしいです。

で、そのニートなのですが、前から私が思っていたのは「仕事をしなくても生きていけて、本人が幸せなら別に良いんじゃないの」ということです。なんかすごく仕事がしたいしするべきなのに、どうしてもできない人みたいな社会的な思い込みがあるのですが、そんなに深刻な状態じゃないことが多いんじゃないかなと。なんとなく、ただ仕事をしていないだけみたいな。

親がお金を持っているから食べるには困らないし、将来は生活保護という手もある。仕事なんてだるいじゃん、家で好きなことをやっていた方が良いでしょみたいな。何が言いたいかというと、AIが発達した世界では、こういう生き方が多数派になりかねないということです。ニートは豊かさが生み出した新しいライフスタイルであり、時代を先取りした生き方ですらあるとも思えるんですよね。

人間は情報を食べて生きるようになる

将来的にはきっと、人間が生きていくのに必要な資源はAIとロボットによって生み出されますから、今でいう仕事・労働をするのは一部の人間だけになるでしょう。大多数の人間はニート状態というか、ベーシックインカムをもらってあとはいかに時間を使うかということが大きな課題、ということになってくる。

その時、ゲームやマンガを含むエンターテイメントや、アート、コミュニケーションといったことの価値が必然的に高まるでしょう。人間に必要な素養は考えたり仕事をしたりすることではなく、いかに楽しむかということにシフトしていく。一部のエリートというか仕事が好きな人を除いて、そうなるんじゃないかなと思うんですよね。何年後かはわかりませんが、多分そうなる。

仕事人間にとっては適応するまで、辛い過渡期になりますよね。仕事をしたくてもその才能がなかったら、遊ぶしかなくなるわけなので。そういう人のための「擬似仕事」みたいのも出てくるでしょうね。穴を掘って埋めることを知的にやる作業、みたいな。実際には何も生産せず、シミュレーターの中だけで完結する仕事らしき作業、みたいな。

それはともかくAI以降、多くの人間はただ「情報を食べて」生活するようになるでしょう。「労働が幸せになるために必要だ」というのは必要に応じて作られた思い込みだと思います。遊んで暮らせるのはきっと幸せなことだし、その時に「楽しく遊ぶ才能」は「まじめに仕事をする才能」よりも有用な資質になるんじゃないかなあ、なんてことを考えています。

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